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山狸記

先祖研究趣味と小島四郎将満と尾高長七郎と落合直言とその周辺
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益満休之助 死去

慶応4年5月22日
1868/7/11


横浜軍陣病院へ移送された益満休之助、破傷風により死去
※益満の死には色々な日、様々な状況があり、いまいち謎の情報が多い


参考
・ 日本医史学会「日本医史学雑誌17(復刻付録)」横浜軍陣病院日記


里山狸呟
 「西郷隆盛をめぐる群像」という本なんかには、松坂屋前で流れ弾を受け立ったまま死んでいる侍が居て
 …という謎の最期があったりと、暗殺論であったりと本当に様々
(Θ_Θ)
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益満休之助、横浜へ転送される

慶応4年5月20日
1868/7/9


益満休之助、横浜の軍陣病院へ転送される

参考
・ 日本医史学会「日本医史学雑誌17(復刻付録)」横浜軍陣病院日記


西郷吉之助、益満らの転送を依頼

慶応4年5月16日
1868/7/5


西郷吉之助(隆盛)、上野における負傷者の横浜への転送を指示し、
更に益満休之助のみは特別目を掛けるよう手配される。


参考
・西郷隆盛「西郷隆盛全集(二)
・伊牟田比呂多「幕府挑発-江戸薩摩藩邸浪士隊-」


益満休之助、負傷する

慶応4年5月15日
1868/7/4


上野にて彰義隊と交戦中の薩藩斥候役・益満休之助、右足脛骨銃創にて戦線を離脱
神田小川町の野戦病院へ運ばれる

参考
関寛斎「奥羽出張病院日記


総督府より、隊士宛出頭命令

慶応4年3月2日
1868/3/25


前日に捕縛された相楽の添状付で、総督府より樋橋の嚮導隊残留隊士へ出頭命令状が出る
※相楽総三絶筆

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