大正11年末~12年初冬頃
1922/末~1923初冬
木村亀太郎、飛鳥山を訪ねて渋沢栄一に会う
⇒渋沢の紹介で東京府知事・宇佐美勝夫と面会し、贈位請願の手続きの準備に掛る
渋沢栄一談
関八州であの頃、勤王浪士の第一人者といえば、指をまず相楽氏に屈したものでした
(中略)
私の友人に竹内廉之助(金原忠蔵)といって下総小金のものがある
その竹内が相楽氏に投じ、同志となったと聞き、竹内の為に喜び、自分は羨望に耐えなかった
(中略)
若い頃、我々は遊郭へよく行ったものだ(中略)、そういう場所で私は相楽氏の部下の人々には会ったが、
相楽氏には一度もお目にかからなかった、数百の士を指導しているだけにそんな処へはなかなか来ないようだった
(中略)
存命でいられたら、立派に天下を料理する人材であった、実に惜しむべきだ、不幸な英傑だったと思う
※小金の東漸寺にある竹内廉之助の碑は、明治45年2月に渋沢栄一や吉野世経建立のもの
参考
・長谷川伸「相楽総三とその同志」
・渋沢栄一伝記資料刊行会「渋沢栄一伝記史料(第57巻)」交遊/相楽総三関係