忍者ブログ

山狸記

先祖研究趣味と小島四郎将満と尾高長七郎と落合直言とその周辺
MENU

ENTRY NAVI

  • Home
  • 大正 1912-1926

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

相楽祭 区費で行われる

大正13年4月3日
1924/4/3


相楽祭が友之町区費で運営されるこようになる

PR

新聞掲載

大正13年3月21日
1924/3/21


皇太子御成婚に伴う贈位請願に遂に踏み切るが、これが却下となった後の記事


【国民新聞】
 贈位審査は社撰だと 宮内省官吏祖父の為めに資料を公開して不公平を絶叫す 
 相楽等勤王の志士


【読売新聞】
 功あってさらし首
 赤報隊その総裁相楽総三が今度も贈位に漏れた為その孫である宮内官の木村さん噴起


【中央新聞】
 祖父の冤罪を雪ぐ宮内官

関東大震災発生

大正12年9月1日
1923/9/1


11時58分、関東大震災発生

 四郎将満の姪にあたる彦坂てい子(65)が行方不明となる


参考
・西澤朱美「相楽総三・赤報隊史料集」小島家・彦坂家系図(木村智将氏)


里山狸呟
 余談ですが、私の曽祖父は石原町に住んでおり、曽祖父の兄夫婦・義母が亡くなりました
 身体を悪くした父親と兄夫婦の子供たちを連れ、水路から逃げたそうです
 曽祖父の兄たちは、この震災と後の東京大空襲で亡くなっており、
 その心情は如何ばかりか…と最近よく考えています

伊牟田尚平生誕地碑 建立

大正12年8月
1923/8/--


安楽兼道、鹿児島県揖宿郡喜入村に“伊牟田尚平生誕地碑”を建立する


参考
・喜入町郷土誌編集委員会「喜入町郷土誌」明治以降の喜入
・長谷川伸「相楽総三とその同志」
※大正14年頃建立となっている史料もあったのですが、郷土誌に従わせていただきました


木村亀太郎 渋沢栄一を訪ねる

大正11年末~12年初冬頃
1922/末~1923初冬


木村亀太郎、飛鳥山を訪ねて渋沢栄一に会う
⇒渋沢の紹介で東京府知事・宇佐美勝夫と面会し、贈位請願の手続きの準備に掛る


 渋沢栄一談

  関八州であの頃、勤王浪士の第一人者といえば、指をまず相楽氏に屈したものでした
  (中略)
  私の友人に竹内廉之助(金原忠蔵)といって下総小金のものがある
  その竹内が相楽氏に投じ、同志となったと聞き、竹内の為に喜び、自分は羨望に耐えなかった
  (中略)
  若い頃、我々は遊郭へよく行ったものだ(中略)、そういう場所で私は相楽氏の部下の人々には会ったが、
  相楽氏には一度もお目にかからなかった、数百の士を指導しているだけにそんな処へはなかなか来ないようだった
  (中略)
  存命でいられたら、立派に天下を料理する人材であった、実に惜しむべきだ、不幸な英傑だったと思う

 ※小金の東漸寺にある竹内廉之助の碑は、明治45年2月に渋沢栄一や吉野世経建立のもの


参考
・長谷川伸「相楽総三とその同志」
・渋沢栄一伝記資料刊行会「渋沢栄一伝記史料(第57巻)」交遊/相楽総三関係

× CLOSE

Profile


Retrieval

Calender

06 2026/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

Comments

[04/28 まる。]
[04/27 名無し丸さん]
[06/10 さるしばい]
[11/03 せっつん]

Analysis

Barcode

× CLOSE

Copyright © 山狸記 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]